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私が “ 旅立ち ” への 『 最期の闘い 』 を始めた時、
きっとあなたは悲しみ、涙を流すことを私は知っている。
私も悲しい・・・。
でも私は苦痛と闘い、涙を流すことさえ出来ないかもしれない。
そんな時・・・私の体に手を置いて、あなたの暖かさをください。
それで私はきっと安心できるから。
私の目があなたを見ることが出来なくなるまで。
私は幸せだった。
あなたの精一杯の愛を感じ生きることができ、
そしてあなたより早く “ 最期の闘い ” を始めることが出来て。
私にはわかる、もうすぐその闘いを始めなくてはならないことを。
私は闘う、一秒でも長くあなたの顔を見ていられるように。
でもわかってください。
この “ 闘い ” は決して勝利できない 闘い だということを・・・。
愛しい人よ、心せよ、準備せよ。
私の 『 最期の闘い 』 にむけて・・・・・・。
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ちょび君が亡くなってから今日で丁度4ヶ月。
上はとても有名な詩です。
ずっと以前、ブックマークして置いたサイトですが再訪問したところ残念ながら消滅していました。
実を言うと、ひと月ほど前までは、このちょび君のブログを遡って見ることが辛くて出来ませんでした。でも、時間がその辛さを段々と癒してくれています。
勿論、江の龍の店長さん、コロンちゃんやS造君、ちょび君をよく知る周りの方々のお陰による所が大きいのは言うまでもありません。
そして最近になって、やっとちょび君の写真を一枚一枚辿りながら 「 あの時はこうだったね、この時はああだったね 」 と、良き思い出として笑顔で見ることが出来るまでになり、もう大丈夫と、思い切ってこの詩を辿ってみたのですが。
『 私の目があなたを見ることが出来なくなるまで 』
あの時、息を引き取る間際、ぼくの腕の中で迎えた最後の瞬間のちょび君の大きな瞳と重なってしまい、やっぱり目から大きな粒となって涙がボロボロこぼれてしまいました。
ちょび君の死を悼む心は決して消える事は無く、またそうする事も出来ないでしょう。ただ、いつまでもそれを悲しみとして引きずることは、ぼく達にもちょび君にとっても不幸なことだと思います。
最後は、たった3ヶ月の介護でしたが、その間は100%ちょびの為に生活していたと言って過言ではありません。
ご飯、排尿、排便、寝返り、今まで自身で当たり前にこなしていた事を、徐々にだけど、しかし最後は全てぼく達夫婦に委ねるまでに衰弱してしまったちょび君。
そして、あの時。 必死に蘇生を試みながら、しかしぼくは考えていました。 寝たきりになり、自分の思い通りにならない身体、時には息も苦しそうな状況の中で、よく今日までぼく達と一緒に過ごしてくれたね。いっぱい いっぱい頑張ったもんね、もう十分だよ・・・、ありがとう。って。
あと二つの表題の詩ですが、それをぼくがここで書くより、とても素敵な所を見つけましたので下のリンクから是非辿ってみてください。

虹の橋

犬の十戒
ぼくが旅立ちへの最期の闘いを始めた時、
きっと 父ちゃん や 母ちゃんは悲しんで涙を流すことを ぼくは知っているよ
本当は ぼくも悲しいんだ・・・
でも、ぼくは 遠のく意識のなかで涙を流す事さえできないかもしれない
そんな時・・・
ぼくの身体に手を置いて、父ちゃん と 母ちゃんの温かさを伝えてください
そうしたら、ぼくはきっと安心できるよ
ぼくの目が父ちゃんと母ちゃんの姿を見る事ができなくなるまで
ぼくは幸せだったよ
父ちゃんと母ちゃんの精一杯の愛を感じて生きてこれたよ
そして父ちゃんや母ちゃんより早く最期の闘いを始めることができて
ぼくには分ってるんだ もうすぐこの闘いを始めなくてはならない事を
でもぼくは頑張るよ、1秒でも長く父ちゃんと母ちゃんの顔を見れるように
でもね、神様が教えてくれたんだ
本当はこの闘いでぼくは負けてしまうんだって・・・
あのね、父ちゃん、母ちゃん、
ひとつだけお願いがあります
ぼくはこれから最期の闘いに挑むけど
心の準備だけしておいてね・・・
2012.12.17 ちょび君 月命日